後悔だらけのゲーム依存症を肯定できるようになった話

私が陥った依存症実態

私は重度のゲーム依存症でした。

授業のない休日は朝起きてから夜寝るまでの間、可能な限りの時間を

ゲームに費やしていました。

 

1日に16時間くらい。

それを何日も繰り返すこともありました。

 

止めたくても苦しくても止められなかった。

こうなると完全に依存症です。

これは社会人になってもしばらくは続きました。

依存の理由その一

まず依存症するからには何かしらの依存しなければならない理由

というものが必ず存在します。

当たり前なことですが、頼る理由がなければ依存する必要性が

そもそもなくなります。

 

私の場合、一つ目が現実逃避でした。

何か嫌なことがあって逃げたい時にゲームをすることで現実逃避

に走っていました。

 

もちろんゲームを辞めた瞬間に現実に引き戻されるので、

可能なかぎり逃げ続けた訳です。

これは自分の将来に希望が持てるようにならないと治せません。

 

このブログでも書き綴っている幸せとは何か?

などのノウハウを知ったことで私は解決できました。

だからこそ必要な人がいるかもしれないと思い、

細々と書いてる訳ですが。

 

心理療法の体験や知識の会得で人生に希望が持てるようになり、

現実逃避をする必要がなくってゲームをしなくなったかというと

そうではありません。

依存の理由その二

まず悪い習慣を絶ったとき、いきなり完全に断ち切れるとは

限りません。

 

人の行動の40%は無意識の行動と言われており、

生活の一部となって溶け込んでいる悪習慣は断ち切ったとしても

100から0ではなく、100→60→20→0といったように

徐々に改善していくことが多いです。

 

現実逃避をやめてしばらくの間はこの悪習慣の余波も

次第に治って完治するだろうと思っていました。

 

しかし半年経ってもゲームをしたい欲に駆られて

一日の大半もゲームに費やしてしまう現象は残り続けたのです。

 

最初に上げたように依存症は頼る理由がなければなりません。

 

再度依存しなければならない理由(メリット)を考えた時に、

思い出したのが子供のころの記憶でした。

 

小学生から中学生くらいの時からゲーム好きは始まったのですが、

その当時は友達との関係で最も多くの時間を割いた遊びが

まさにゲームでした。

 

ゲームによって友達との親交が深まり、繋がりを得ていた訳です。

高校、大学、社会人となって一緒にゲームをする友人が

いなくなっていたにもかかわらず、ゲームをしたくなっていたのは

ゲームをすることが友達との友情やつながりを感じられる行為そのもの

になっていたからだとわかりました。

 

1人でゲームで遊んでも、友達ができる訳ではないので、

よくよく考えれば完全に錯覚なのですが、

ずっと引きずり続けていたのです。

 

私にとってゲームをすることは現実逃避だけではなく、

友情やつながりを大切にしたいという思いでもありました。

 

ずっと心の奥底で思っていた、良き友人を作ったり恋愛をする努力と

ゲームをすることの真の目的は同じだったわけです。

 

かくしてゲームに頼る理由が全て消えたとき、

友情やつながりの大切さを教えてくれたこと、

孤独の苦しみから逃れるために少しでも役に立ってくれたことに

感謝することができるようになりました。

 

そして依存症はなくなりました。

 

幸せになるのに過去の出来事を変える必要はありません。

意味さえ変わってしまえば十分なんです。

 

そもそも過去の出来事は変えられません。

しかし意味は変えられます。

この世は良い塩梅で出来ているなと思います。

 

少しでも依存症に苦しむ人が一歩前に進めるヒントがあれば幸いです。

ストレス

Posted by あおまる