努力する才能なんてものはない。正しい夢の叶え方

努力できるのも一種の才能?

努力か才能か

誰もが一度は考えたことがある永遠のテーマとも言えるもの

ではないでしょうか。

 

才能がないから私には無理。

才能に恵まれてるからそこまで出来るんだ。

とか

 

私はこういう言葉を見るたびに

他を圧倒してチヤホヤされたいだけの人なんだろうなと

勝手に思ったりします。

 

それと完璧主義者なのかもしれません

 

自分の至らぬところばかり目についてしまい、

業界でトップクラスの成績や成長を見せる人と自分を

比べてしまう

 

でもこれは至って普通のことなんじゃないかとも思うんです。

だって人は承認欲求のけだものであり

存在価値が満たされないことは耐えがたい苦痛ですから

 

そしていたらぬ所ばかり目についてしまうというタイプ

これは向上心が高い人に多く見受けられます。

 

承認欲求のせいで努力ができない呪縛を自分で自分にかけてしまう

世の中の多くの人が努力できない理由はこれです。

 

私は無理なものは無理だし自分には自分の成長速度の限界がある

と割り切って生きているので努力が苦になりません。

苦しむ人は精神的な謙虚さが足りていないのだと思います。

 

これはただの意識の問題で

欲をかいたら痛い目を見るよっていうそれだけのことです。

 

だから努力するのに才能は一切必要ないわけです。

努力できることを才能と呼ぶ人は、自分が理解できないものを

才能と言って思考を放棄しているだけだと私は思います。

本当に才能と呼べるものかはそんな簡単なことではないと

思っています。

 

では才能とは何か?

私は人に評価される個性と遺伝子的に優れたもののことだと

思います。

 

大谷翔平のあの体格は遺伝的才能です。

どんなに努力しても2m近い身長に誰でもなれるわけではない。

これこそ才能だと思います。

 

それと個性は誰にでもありますが、世にウケる個性というのは

才能と呼んでいいと思います。

人が真似しても二番煎じにしかならないので、

圧倒的に有利な才能です。

 

努力か才能かについて議論する時、何が重要なんでしょうか?

行き着くところ成功者になれるかどうかだと思います。

 

そして大抵の場合、努力だけで成功者にはなれると思います。

なぜなら努力できない人と努力する気もない人が

世の中の大多数を占めているからです。

 

あなたが努力しても辛く感じるならその痛みは成長速度以上に

欲をかいているという証拠です。

欲をかいて足元をすくわれないよう気をつけてください。

 

そもそも夢や目標なんてないよって人もいるかもしれません。

次回はやりたいことの見つけ方を書きたいと思います。

ストレス

Posted by あおまる